── 目に、見えぬ、働き ──
「神」は、人格化された存在ではなく、内外に兆す見えぬ働きそのものである。
「神」は、左に「示」(しめす)、右に「申」(しん)。
「示」は、祭壇を象形した字。「T」字型の上に何かを供える、最も古い祭具の姿です。 神聖な事柄を指す多くの漢字に、この「示」が含まれます ── 祈、祭、福、禅 など。
「申」は、もともと 雷光が屈折しながら空を走る姿 を象形した字。 古代の人々は、雷を、目に見えぬ偉大な力の最も鮮明な顕現と見ていました。
祭壇 (示) の前で、雷 (申) のように顕現する ── これが「神」のもとの姿です。 力そのものではなく、力が現れる瞬間 を指す字なのです。
日本では、神は人格を持つひとりの存在ではありません。 古事記には 「八百万の神」 ── 山、川、岩、樹、すべてのものに神が宿るとあります。
何かが、確かに動いている。けれど、それが何であるかは、説明できない。 その「働き」そのものに、日本人は「神」という名を与えてきました。
ですから、神道に教義はありません。教義に書き留めた瞬間、神は逃げ去る のです。 神は、書かれぬまま、感じられるもの。
「神獣」の「神」は、divinity(神性)ではありません。 目に見えぬが、確かに動いている働き を指します。
あなたの中に、論理では説明できない動きがあります。 ある人に惹かれる、ある場所に行きたくなる、ある言葉が刺さる ── これらは、頭ではなく、身体の奥で動く何かが決めています。
Konton は、その「あなた自身の中の神」を、神獣という形で取り出し、 対話可能にします。神は、外にではなく、あなたの中にも在ります。