── 分けられない、全体 ──
「混」は、整理されていない状態ではなく、分けることを急がぬ態度として東洋の智慧の根に在る。
「混」は、後漢の許慎『説文解字』(紀元 100 年頃)にこう記されています ──
本義は「豊かに流れる水のさま」。 濁った水、ではありません。多くのものが入り混じり、ひとつひとつを区別できないほど豊かに流れる水 ── これが「混」のもとの姿です。
分けられないことは、欠如ではなく、豊かさだった ── これが、漢字「混」が最初に語っていた事実です。
「混」は十一画、会意兼形声文字。
左の「氵」(さんずい・水) は意味を、右の「昆」(コン) は音を受け持ちます。
「昆」をさらに分けると、「日」と「比」。 太陽の下に、二つのものが並び立つ。並び立ったまま、ひとつのものとして見える。
並び立っているのに、ひとつ。
分けることもできるのに、分けない。
この姿を、水の流れに重ねたのが「混」という字です。
老子・荘子は、「混」を否定的に用いません。 むしろ、世界が分かれる前の、すべてが在る状態を 「混沌」 と呼びました。
日本の『古事記』冒頭にも、こうあります ──
鶏の卵のように、白身と黄身がまだ分かれず、けれども、これからすべてが生まれてくる ── ここでの「混」は、混乱ではなく、未だ分けられぬままの豊かさ です。
東洋では、分けることが智慧の終わりで、混じることが智慧の始まりです。 西洋哲学が「分析(ana-lysis、解き分けること)」を重んじてきたのに対し、 東洋は 分けないで保つ力 を、繰り返し賞でてきました。
「Konton」はサービスの名前そのもの。 分けられすぎた現代社会に対する、ささやかな姿勢として、この字を選びました。
「混」は、整理されていないこと、ではありません。 整理を、急がないこと。
神獣との出会いも、御神籤の託宣も、診断ではありません。 あなたの中の「混」── 分けがたい全体性 ── を、そのままに認めるための、小さな器です。
MBTI のようにあなたを「16 型のどれか」に分けることはしません。 星座占いのように「12 のどれか」に当てはめることもしません。 Konton は、あなたが あなたのままで、ひとつであること を、信じます。