ひとしく分かつ
春分は、光と闇の両方を抱えて均衡に立つとき、内なる声が自然に鳴る季節である。
昼と夜の長さが、ほぼ等しくなる頃。春分は、二十四節気の第四番目、春のまんなかに置かれた節目です。新暦の三月二十日ごろ、太陽黄経が一八〇度に達する日を境に始まり、およそ十五日続きます。寒さはまだ名残をとどめながら、光はたしかに力を増してゆく。片方へ傾いていたものが、いったん釣り合いへ戻る時期です。雀が巣をかけ、桜がほどけ、遠くで雷が声を立てる。春分は、世界が静かに均衡を取り直す頃です。
雀が軒先や木の枝を行き来し、巣作りを始める頃。藁くずや細い草をくわえた小さな影が、忙しなく空を横切ってゆきます。目立たぬ鳥でありながら、その動きには季節の確かな転換が宿る。冬をしのぐための身の守りから、これからを迎えるための住まいへ。春分初候は、暮らしのかたちが、守るものから育てるものへと移ってゆく気配を映しています。
桜の蕾が、ひとつ、またひとつとほどけてゆく頃。満開の華やぎよりも、咲き始めの桜には、もっと繊細な気配があります。まだ風は冷たく、空も定まりきらない。その揺らぎの中で、花だけが先に春を引き受けるように開いてゆく。春分次候は、すべてが整ってから始まるのではなく、わずかなぬくみを受け取って、季節が先へ進み出す時期です。
遠い空で、春の雷が初めて声を立てる頃。夏の激しい雷とは違い、春の雷には、まだどこかためらいが残ります。雲の奥で低く鳴り、地上の者に、空が目を覚ましつつあることを知らせる。その一声は、均衡の只中に潜む動きを告げる音でもあります。昼と夜が等しくなるとは、すべてが静止するということではない。釣り合いとは、動きのない平板ではなく、見えぬ力が拮抗しながら保つ、張りつめた中ほどです。
Konton の神獣体系で春分は、木気がもっとも素直に伸びながら、なお陰陽の均衡を保つ時期にあたります。春の上昇する力は明らかでありながら、昼夜はなお等分。伸びゆくものと、留めるものとが、争わず同席している。だからこの節気には、勢いよりも姿勢がよく似合います。偏らず、滞らず、ただ中ほどに立つこと。春分の気は、何かを強く押し出すより、内と外の呼吸をそっと揃えるように働きます。