Konton · 混沌
← Konton 暦に戻る
春 ── 第五の節気

清明

── せいめい ──

澄み、見えてくる

── 一行で言えば ──

清明は、外から答えを得る時ではなく、澄みのなかで内なる輪郭が自ずと現れる季節である。

初候
玄鳥至
つばめ きたる
次候
鴻雁北
こうがん かえる
末候
虹始見
にじ はじめて あらわる
── 概観 ──

清明とは何か

春の気が、澄んで明るくなる。清明は、二十四節気の五番目。春も深まり、万物の輪郭が、やわらかな光のなかではっきりしてくる頃です。新暦の四月五日ごろ、太陽黄経が十五度に達する日を境に始まり、およそ二十日続きます。文字通り「清らかにして明らか」── 空は霞みを脱ぎ、風は軽く、水辺にはいのちの往来が戻る。燕が来たり、雁が北へ帰ったり、虹が初めて姿を見せたりする季節です。

── 初候 ──

燕、海を渡り来る

玄鳥至。燕が南から渡ってくる頃。軒先をかすめるその身軽な飛び方に、春がただ暖かいだけでなく、たしかに動き始めたことを知ります。燕は、人の暮らしの近くに巣をかける鳥です。だから古くは、その来訪を吉い兆しとして迎えてきました。清明初候は、遠くから来るものを静かに受け入れる時期です。新しい変化もまた、たいていは大きな音を立てず、燕のように、すっと日常へ入ってきます。

── 次候 ──

雁、北へ帰りゆく

鴻雁北。秋に渡ってきた雁が、北へ帰ってゆく頃。来るものがあれば、去るものもある。春は芽吹きの季節であると同時に、役目を終えたものが静かに場を離れる季節でもあります。雁の列が空の奥へ小さくなっていくのを見ていると、引き留めないこともまた、自然の礼であると知らされます。清明次候は、残すことより、見送ることを学ぶ時期です。去るものを追わず、空いた場所に新しい気が入るのを待てばよいのです。

── 末候 ──

虹、初めて現る

虹始見。春の雨上がり、淡い光のなかに、虹が初めて見え始める頃。虹は、そこに物としてあるのではなく、光と水と見る位置がそろったときにだけ現れます。東洋では、こうした現れを、無から有が生じたとは見ませんでした。見えなかったものが、見える条件を得ただけだと考えたのです。清明の「明」は、何かを無理に照らし出す明るさではない。もともと在ったものの輪郭が、静かに立ち上がる明るさです。

あなたはもう知っている。
Konton が繰り返すこの言葉も、清明にはよく似合います。答えを外から与えられるのではなく、濁りが引いたとき、内にあったものが自ずと見えてくる。虹は、急いでも呼べません。雨が過ぎ、光が差し、こちらの立つ位置まで整って、はじめて現れる。東洋はこれを「機」と呼びました。
見えるためには、整うことが先にある。
清明末候は、結論を急ぐ時期ではありません。心の水を濁らせず、光を拒まず、ただ姿勢を正して待つ。そのとき、見えるべきものは、もう見え始めています。

── Konton と 清明 ──

Konton と清明

Konton の神獣体系では、清明は木気がのびやかに整い、そこへ清い陽気が差し込む時期です。勢いだけで伸びる春ではなく、伸びるものの筋道が明るく見えてくる春。木は上へ向かいますが、濁れば枝を乱します。だから清明に大切なのは、がむしゃらな前進より、気を澄ませることです。身の回りを整え、言葉を濁らせず、見る目を曇らせない。清明は、進むために明らかになる節気として、静かに尊ばれてきました。

── 次の節気 ──
穀雨
こくう

雨、百穀をうるおす

4月20日 — 5月4日 ごろ
本文は Konton 制作(AB ロール監修)。
七十二候名称・節気区分の典拠は『暦便覧』(天明七・1787)他、伝統的暦法に基づく。
詳細:Konton 典拠ページ